尾崎豊

どこから、話せばいいかわからないほど、思い入れのある、アーティストである。

あの時代にしては、フォークでない…歌謡曲でもない…

まさにシンガーソングライターなんだよなぁ。

 

といっても、僕が生まれた時にはなくなっていた。

尾崎(ここではこう呼ぼう。)が生きていれば、僕の名前は豊かになっていたかもしれないとお父さんが言っていた。前年に亡くなっていたから、母の意見もあり、晃平になったらしい。

 

不思議なことに、尾崎が亡くなった26歳に自分もなってしまった。

父が筋金入りのファンで、自慢が、生で見たことと、若い頃は似ていると言われていたということくらいの父だ。

 

そんな尾崎世代2世とも言える。僕も中学生の時、よく聞いたなぁと思い出した。

 

病み上がりで、センチな感じだったので、会いたくなって …昨日から久々に聞いている。

流れるように歌って、歌上手いなぁ。と感じる部分も強いけれど、それより、伝えたいエネルギーみたいなものが、時代を経ても、伝わって…

 

昔は、後期の曲はあんまり受け入れなかったけど、この歳になると、その滲み出る暖かみは、生きててよかったと思える何かがある。後期のテーマはやっぱ罪とかそういう色も強いんだけれど、その中に生きるエネルギーとか、喜びがあって…

 

破天荒なイメージ、若者の代弁者とも言われ、荒れてるイメージを持つ人も多いと思うんだけど、

やっぱりこの人は本当に頭がいい。

 

けど、「なぜ」って部分があって、自由を追い求めたから、そんな部分を持っているから、

若いのに、深みを持っていたのだと思う。

 

そんな深い心のさけびに少年川口も憧れていたのであった。

大学時代、軽音部で、最初コミュ障でバンド組めなかった時は、豊というバンド?名で独りで弾き語った。僕の弾き語りのスタートである。(その後、高知に出るまで4年…公の場で弾き語ることはなかった。)

 

結構練習した。でも、ストロークなんてできるわけない。

ジャーンジャーン全部白玉弾きだったから、お父さんにピック使わず、弾いて歌で勝負しろ、とアドバイスもらったのも思い出した。その時の自分いないと、今ギター弾いてないだろうな。。

 

でも、きっと、その憧れは、今にも通じる部分があって、心で唄ううたで伝えたいメッセージがきっとある。自分は真面目(安定を求める部分)に見られることも多いかもしれないけど、熱さと確かな世界観はあって…

 

とにかく、まだ見ぬ自分を探してる部分もありますが、着実に今自分にできる音楽を伝えられたらと思えるのです。

細かい曲などについては、また書こうかな…音源聴いて久々熱くなった。

 

f:id:laulahan:20190612204111p:image