僕の「うた」は合唱が原点

今日は大阪芸術大学でのスクーリング「合唱」の授業1日目…

 

今は小学校で教壇に立っているが、中等音楽の免許取得のため、大阪で学んでいるのです。自分が、音楽の免許を取ろうとするなんて、合唱を始めた中学生の頃も、合唱団で部長をやっていた福岡教育大の時も考えもしなかった。。

 

そして、またこうして、合唱をするためにどこかに向かうことさえも何か不思議でなりません。合唱団を卒団し、自分で自分の曲を歌うことをし始めて、合唱への気持ちもどこか薄れていってしまったので…

 

という今日は、僕の「うた」の原点・合唱について、書いていきたい、思い返していきたいと思います。

 

ことの始まりは、小学6年生の時、近所の先輩が合唱部でNHK合唱コンクール全国大会に出ていた映像を見たことでした。

小学生のときの、晃少年は単純に全国、そしてTVという目の前の現象にきっと鼻がヒクヒクしていたのである。(鼻がヒクヒクしているのは、楽しみな何かが近くにある時)

この時僕は、合唱部に入ることに決めた。自分が歌を歌えるとかそんなことは考えず、懸命に表情豊かに歌うことが、今までの自分に足りなかった何かだと、映像から感じさせられたのである。

 

ついに中学入学。部活動説明会は聞いていなかった。合唱はどんな風に楽しいんだろうかとい希望だけがつのる笑

放課して、すぐに、職員室に向かった。目の前には、TVでも指揮を振っていた、原田先生がいる。お互いがどう言ったのかなどは憶えてないが、すごい笑顔で入部届けを受け取ってくれたことを覚えている。逆に、あれだけ人に必要とされたのはあの時が初めてではないかとも感じる。

 

その日、先輩に教えられながらも、発声練習に参加する。目の前に部活体験の子達が見ているけれど、何も考えず、歌った。(ちょっと恥ずかしいとともに即決した誇らしさ!)

序盤は正直発声練習しか、覚えていない。5月だったかな…少し先輩の声に真似てみた。その時、原田先生が「少し声色を変えてみた友達がいますね」と嬉しそうに1言こぼした。

あっ自分も大事なこのメンバーの一員なんだ。考えて何かを変化させたら、認めてくれるんだと感じた。

その後、最も仲の良かった先輩に「前の方が素直で良かったと思う」とも言われた。今思うと多分こちらの方が正論だ。でも、教員になった今、変化させる勇気を認めてくれた原田先生は本当に尊敬できる。

 

その後僕はどんどん変わっていった。正直、音程というものを知らなかった僕は感覚で適当に歌っていたが、(小学校時も友達の感想でBIGだったと書かれて、俺歌上手いんだと根拠のない自信を持っていたのを覚えている笑)1年では珍しい大会に出るメンバーにも、選んでもらった。

特に小学生時代、運動も勉強もできなかった僕は、やっと好きで成長できるものを見つけて、本当に生活に色がついた。夏とかは毎日の練習9時から15時とハードだったが、勉強も頑張れた。誰とでも仲良く過ごせるのも自分に自信があったからだと思う。

 

仲間の存在は大きい。今でも音楽に携わっている人が多いのは素直にすごい。ある友達M君には、大学時代、僕は福岡で彼は名古屋だったが、楽器も弾けず、作曲できたもののメロしか作れなかった僕にオケを作ってくれた。それがなかったら、今作曲を続けていないと思う。この前久しぶりに会って、一緒に演奏したり、伴奏弾いてもらったりしたけど、僕も含めてみんなの歌心を引き出す彼はやっぱりすごい。魔王を弾き語りする彼の存在感はすごい!また、会う約束をしているところなので、楽しみだ。

ほとんど練習のことしか思い出せないけど、男女、先輩、後輩ともにたくさん遊びにも行ったな。こう書くと思い出した。

 

中3になる時も副部長に選んでもらい、(先輩が決めるのだが、原田先生が推してくれたらしい)責任を持つことも覚えた。中2で岩手まで、全国大会に行ったことも思い出深いけれど、中3で中部大会で表彰状授与が終わって、部長と「終わったね」「うん」とだけやりとりしたのが、鮮明に覚えている。

他に合唱部以外でも校内コンクールの時、生涯最初で最後、友達に手を出してしまったこともあった。少し不良めの子だったけど、普段すごい真面目に取り組んでいたからこそ、その日やる気が全然なくみえたのが、許せなかった。その後はお互い気持ちが晴れ、コンクールに向けて一緒に頑張れたのを覚えている。今では悪いことをしたとも思うけれど、それだけ今までの僕を変えるほどの情熱を合唱は引き出してくれた。

やっぱり、合唱だから、みんなで声を揃えて、最大限の演奏をするところが楽しい。「うた」を通して、人の心と対話するところが楽しい。だから、その楽しさを伝えたいから、こっちも全力で楽しむ。

それは、原田先生や仲間がくれた、大切な宝物です。

 

実は原田先生は、僕が高校3年の時、退職2年ほどで亡くなってしまった。

たくさんの人の心に火をつけ、自分の人生も楽しんでいた素敵な先生でした。

「みんなの方が僕より若く素敵な歌声を持っているんだから」いつも僕らの未来を考えてくれる先生でした。

この前も名古屋帰った時仲間と参りに行きました。

奥さんが僕らが卒業の時、先生に送った手紙を見せてくれたけど、その時に僕の人生の答えの一つが書いてあった。

 

 I love music.

 

さて、今日は合唱スクーリング、今日しかできない音楽に全力に向かいたいと思います。新たな仲間との出会いも楽しみ!

 

大学時代のことなどについても、また書きますね。

 

※大分、上の先輩の動画だと思いますが、

練習風景が懐かしいですね。

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